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2003年5月28日(水)

西洋と東洋の統合

ワクワクとするような出会いに毎日心が躍る。先日もとても素敵な出会いに恵まれた。
ロス在住のダンサーのぶこさん。彼女はアメリカ生まれのアメリカ育ち。日本語は殆んど話せない。60歳を越えておられるのぶこさんの生き生きとした姿は見ていて、嬉しくなってくる。
今、彼女は夏に催されるアメリカンジャパニーズのイベントで「OBON」と題した、歌と踊りを仲間たちと創作されている。
それは、日本でいう盆踊り大会に匹敵するが、アメリカ生まれの彼女達が創作するお盆は又、一味も二味も違って、ユニークなものだ。
歌の中には禅語が入っている。「一期一会」やことわざも組み込まれ、ラップのリズムで歌い上げる。般若心経も入る。「色即是空」
数種の民族太鼓と笛が奏でられる。
カリフォルニア約30箇所でこのイベントは行われるらしい。
創作に関わっているメンバーは30代から60代の日系2世、3世。彼らは日本語が殆んど話せない。
しかし、そのクリエイティブなエネルギーはどこから生まれて来るの?と思うくらい豊かで自由。この感覚は日本人離れしているよなぁと感心して見ていた。

のぶこさんはこう言われた。「今から30年以上前は、この辺に住む日系人たちはとても病んでいたの。差別も勿論あったし、自己確立がなかなか出来なかった人が多かった。自信がなくなり、ドラッグに走っている人たちも目立っていたの。だからね、そんな日系社会に活気を取戻そうと、私たちのルーツを捜そうよと呼びかけたの。それがきっかけになって、このようなイベントがもう何十年も続いているのです。これは、アメリカンジャパニーズの魂に呼びかけるものでもあるし、私たちの大事なイベントになっています。」と。
ルーツ・・・
アメリカに来て、私も改めて「日本」を見る。「日本」を感じる事がある。日本語のもつ素晴らしさを感じているし、日本語の母音や漢字の意味合いはどこの国にもないだろうと思うほど、神聖な気がしている。
日本語を大切に使いたいと、アメリカに来てからの方が感じている。美しい日本語。その意味合い。その深さ。それは、世界の中でも光っていると思う。日本語のエネルギーは日本を離れて強く感じるほどだ。
のぶこさんたちが、ルーツを求め、勉強し、そして自分たちの個性でかもし出していくその時間は、とても新鮮にも写り、魅力的だった。

人々が集う時、そこにある「笑顔」は人と人と繋ぐ。笑顔はなんて素敵なのだろう。のぶこさんのいる場所にはその「笑顔」が沢山あった。
ロスのダウンタウンにあるお寺で彼女達は練習をしている。そこでは週に一度和太鼓の練習もされている。丁度、私が訪れた日はその練習日で、15台ほどの太鼓が並んで練習されていた。
その響きの中に入ると体中がバイブレーションを受け、ワクワクしてきた。
あ〜、この響き!いいよなぁ〜!
練習しているのはやはり日系の人たち。アメリカ人も数人混じっていたが、誰でもウエルカムで練習できる。誰も教えない、見て、聞いて覚える場だとリーダーが話されていた。体で覚えるのが一番だよね。と。確かに・・・
ロスに日本のルーツを見た。
みんな、大切にしたい私たちの命のルーツなのだ。
そして、ここで見た西洋と東洋の統合は楽しく素敵に輝いていた。 その夜、私も夫も友人ものぶこさんたちと一緒に声を出して歌っていた。 ♪「笑う角には福来る」とね。

2003年5月27日(火)

菩薩様がやってきてくださった

−このダイアリーはメルマガ27号で掲載致しました。−

このHPの表紙の菩薩様を描いてくださったニューヨーク在住のアーティスト、まるさんが先日尋ねてきてくださった。
あの菩薩様のオリジナルの絵をご持参いただき、改めてその美しさにうっとりとした。これから、我家の守り神様として大切にヒーリングルームに飾らせていただこうと思う。
まるさんのように愛に溢れたエネルギーをもつ方に、描いて頂いた菩薩様。 幸せな事です。心より感謝致します。
そのまるさんにマッサージをさせていただいたのだが、後日このようなフィードバックを送ってくださった。了解を得ましたので、ご紹介したいと思います。
読んで、私は目頭が熱くなり、改めて我を手放したヒーリングを心がけたいと思ったのです。そして、まるさんの中の愛が私へと流れ込んできました。
愛深き人との出会いは、心が染み渡るような幸せに包まれます。

−まるさんのフィードバックより−

それはまるで儀式のようでした。ネイティヴ・アメリカンの儀式ような感じ。 まず美津子さんから、私の身体〜私の身体を作っている水〜に御挨拶がありました。そして、ゆっくりと眠っている水たちを起こして下さいました。(マサチューセッツ州のプリマスでのピースウォークに参加したおり、ワンパノグ族の方が主催でディナーを用意して下さいました。その折にお話されたのが、「昔、ある晩、のどが乾いて明け方起きました。そして水を飲もうと水桶から水をくもうとしたら、祖母が『水も眠っているのだから、起こしましょう』と言って、桶の水を指でチョンと触って水を起こしてくれました。そして水を飲みました。」です。)

左の足から、私は大切に扱われていることを思い出しました。今までとても大事に大事にされたきたことを知りました。そしてこれからも大事にされていくことを知りました。唯一無二の自分を認識すると涙が出て来ました。
右の足から、家族への感謝が、特に母方の母(私の祖母)への感謝が流れて出てきました。祖母は妻子ある人の子供をみごもりましたが出産し里子にだしました。それが私の母です。そしてその子供が私です。その時いろいろな想い があったでしょうに、産んで下さったことに感謝をささげました。
背中から、二元性のものたちが一つに混ざっていくのを感じました。喜びも怒りも幸せも哀しみも全て全て一つになっていく。そうやって全てのものは「Oneness」へ戻っていきました。
頭から、生きることを決意することを知りました。生きろ、生きよう、生きるへと変化していきました。そして私は生まれてくることを決心したのです。
前後ははっきりしませんが、大きな波、小さな波、そして泡になることを体験しました。それを繰り返し繰り返し体験しました。
仰向けになり、いよいよ私は生まれ出てくる準備が整ってくるのを感じました。そしてこの世に産まれました。

マッサージは、本当にすばらしかったです。長年封印されていた「家族への感謝」のふたが開きました。エネルギーが流れ始めました。すると、NYに戻ったら、私を勘当したはずの母からたくさんのファックスが届いていました。
(昨年から、ピーターのことで私は両親に勘当されておりました)嬉しかったです。

美津子さんのマッサージを受けさせていただいて、私の中に存在していた感謝が流れ出しました。この3年間は特に、「どうして私は家族に感謝ができないんだろう」とか「私には感謝の気持ちがないんだ」と「私は冷たい人間だ」と か悩んでいましたが、私の中に「感謝」は存在し、ただそれが滞っていただけだと右の足をマッサージしていただいた時に気がつきました。

美津子さんへお届け致しました菩薩さまは美津子さんへとお姿を現せれたも のですので、全て美津子さんにお任せいたします。

2003年5月20日(火)

−身体と心と魂が一つになる時−

(このダイアリーはメルマガ24号で発行致しました。)

今回は私の魂の姉妹でもあるサンフランシスコ在住の高原操さんが彼女のHPに書かれたエッセイのご紹介をさせていただきます。
このエッセイは彼女が昨年暮に集中ヒーリングセッションを受けに来られた時の体験記です。
この体験は私自身も忘れられないものとなりました。
彼女は現在、サンフランの北にある聖なる山、マウントシャスタのスピリチャルガイド役として、ご縁のある方をシャスタ山に繋いでおられます。
彼女がこよなくシャスタ山を愛し、人々の気づきのお手伝いをされている事、そして、彼女特有の直観力はこれから益々冴え渡っていく事でしょう。

奇跡的な体の変化は、彼女に多くの導きがあった事と、彼女の深いところの準備が整っていた事。それらは多分にあると思えます。誰しも体と心と魂は結びつき、完全なる調和。大調和であるはず。今までの古いパターンから抜け出していく勇気と、真なる幸せの為に、情をはずした愛の世界が私たちの喜びを育てて行くと思っています。

操さんもこのエッセイを多くの方にシェア-したいと言われていますので、今回は、書き下ろしほやほやの彼女のエッセイをそのままご紹介致します。
操さんのHPはhttp://home.pacbell.net/takahara/tsw
こちらにも是非、訪れてみてくださいね。

☆高原操さんのエッセイより☆

プロローグ--10日間集中ヒーリング、奇跡の日々

この旅はまず昨年12月ロスで受けたキャノン美津子さんの集中ヒーリングの体験無しには語れない。あれから半年、私はあの奇跡の体験を今やっと日常の生活の中で活かし体験し初めている。日常に活きてこそあの体験を書ける、そしてみんなにシェアすることが出来るとずっと感じていた。それはいつか自分でもわからなかったけれど、今回の旅の途中で私は自分の体が完全に変わったことを感じて、今なら書けると思った。

私は40歳を過ぎても体重40キロそこそこ、生理不順、極度の肩凝り、偏頭痛など大きな病気はしないものの、いつも体の何処かに不調があり爆弾を抱えているような状態だった。自分では生理不順ややせた体を「楽ちんな体質」とずっと思っていた。でも、ツアー企画などを個人で始めるようになってこの体ではどうにも持続力がなく、体がついて行かない状態になってきた。「みおちゃんの体は完全に右半分の神経が眠っているよ。これからもっともっとシャスタ山へ人を繋げる役割があるのだからまずは体を建て直さないとね」エサレンマッサージ、ナーブセラピーのセラピストであるロス在住のキャノン美津子さんが指摘してくれたのをきっかけに私は自分の体を宇宙に繋がる光の体に変えたいという願いを込めてロスの美津子さんのもとへ集中治療の旅に出かけることにした。その前月11月5年間の闘病の末に母が光の世界に旅だったことが私の中で私自身を活かし、花開かせるための大きな原動力となっていた。

  最初の予定は滞在1週間。この間に美津子さんは出来る限りのセラピーをすると言ってくれた。そしてまず第一回目のセッションでは「あれ?以前より体がよくなっているみたいよ。亡くなったお母さんの力かなあ、さすが凄いね。案外早く終わるかも」ということだった。そう言えば最近肩凝りも少し軽くなっているような、、、。母が光の世界から私を見守ってくれているのだろう。お母さんありがとう。そんな思いでいっぱいになった。

  しかし、セッションが続くにつれてそれは表面的な体の緩和に過ぎず、やればやるほど古く何層にも積み重なった歪みのような凝りが表面化してきた。まるで首から頭にかけて何年も何年も棲み着いている大蛇が頭をもたげたようだった。この大蛇は私が長年自分の体を無視してアンバランスな食生活や生活習慣、そして多分過去性から持ち越したネガティブな感情の巣窟だったのだろう。

  セッションを続ければ続けるほど奥深くから出てくるネガティブな痛み。「一週間では無理かも。出来る限りやってみるけど、、、」美津子さんの表情もちょっぴり重い。でも私は今回の滞在でなんとかある程度自分の満足出来る状態に辿り着きたかった。滞在をぎりぎり10日間に延すことにした。今回はこれで帰ろう。この続きはまた次にしてもらおう。ちょっと弱気な思いが広がっていた。

  しかし劇的な変化が現われた8、9日目。少しづつ層がほぐれて体が軽くなってきた。その日美津子さんはヒーリングにクリスタルを使った。今まで数回使ったものの、クリスタルを使うのは珍しいとのことだった。それが私の体を光のレーザーで直撃したのだった。私は今までクリスタルヒーリングを受けて直接体が反応するということはまったくなく、クリスタルの威力に触れたことはなかった。しかし、そのセッションはまったく凄かった。私の中の大蛇に研ぎ澄まされたクリスタルの光が注がれた瞬間、体にエネルギーが流れなぜか涙が出た。その涙は浄化の涙というよりは「悔し涙」に近かったように思う。「やられた、、、」そんな感情が襲って来た。私の中で長年棲み心地良く暮していた大蛇が自分の住処を見つけられて光を充てられもうそこに棲み続けることが出来なくなったと感じている。その悔しい思いが私の体を通して伝わってくるのだった。「今まで棲み続けて来たのに今更追い出すというのか、、、」私はそんな思いをクリスタルの光に乗せて思い切り体から解放していた。

その翌日、ロスを離れる朝。最後にもう一回セッションをしてくれることになりマッサージテーブルに体を横たえた。この時の体験を私は一生忘れないだろう。体と魂が宇宙と直結した体感。あれはまさに宇宙のエクスタシーだった。まばゆいばかりの光に私は溶けていた。昨日に続きクリスタルを充てた瞬間にそれは起った。私の体に光が流れ私の体の中でそれは増幅し外に放出していた。体は光そのものになっていた。側で見守っていた美津子さんは後から「帰って来れるか心配だったわ」と言った。私は白眼を向き完全に「行っていた」状態だった。その時私が体験していたのは真っ白な光の世界。体が意識が光の中で拡大し、地球とそして宇宙と一体となっていた。その時降りて来た言葉は「私の子宮が治れば地球がそして宇宙が癒される。私は地球、そして宇宙そのものなのだ」というものだった。子宮で宇宙を感じていた瞬間。私は自分の力で光を創り出すことをその時知った。

祈りのマントラと共にセッションを終えた後、ちょうど次にセッションを受けるクライアントさんが来ていて、彼女に今終えたばかりのセッションをシェアすることになった。「いやあ、凄いセッションだったよ。みおちゃんの首は筋の高さが左右違っていてこんなに重症だったのに」とそのクライアントさんに私の首筋を見せようと髪をかきあげた瞬間美津子さんが叫んだ。「あっ!!段がなくなってる!!!信じられない。奇跡やあ!!!」「ここにあったんだよ、ほんとに!!!」と何度も何度も私の首筋を確かめる。私はすっかり体が軽くなってまさしくライトボディー感覚を味わっていた。最後の最後にこんな大逆転ホームランが待っていた。このドラマチックな結末を味わうために私は今こうしている。全ては完璧だった。

  セッションを終えサンフランシスコに戻った翌朝おおきな虹がわが家のアパートに掛かっていた。またひとつ魂の階段を登った宇宙からのプレゼントだった。

  この奇跡の10日間の間に私は美津子さんのだんな様トニーの所有するLIAHOに出会った。100%木で作られたハンドメイドのヨットLIAHO。「100%の思いで乗りだそう」という思いを込めて大切にトニーに守られているこのヨットを私は大好きになった。この船でトニーと一緒にカタリナ島をクルーズするヒーリングアドベンチャーと美津子さんの集中ヒーリングセッションを合わせた夢の企画をぜひ実現しよう。この旅の間に生まれた企画が今回のカリフォルニア縦断ヒーリングツアーとなって実現したのだ。

  そしてそのヒーリングツアーを終えた今、私はあの時始まった新しい体との出会い、更に続く体と魂の変容、新たに開かれた夢、たくさんの奇跡を体験しながら次に何処へ導かれて行くのだろうという魂の高揚を味わっている。

☆おしまいに☆

私も操さんの体がここまで目の前で変化するのを見て、正直驚きました。先日、メンテナンスに訪れてくれた彼女の体を触った時は、もう、昨年の彼女の体とは違っていました。流れるエネルギーも強く、そしてエネルギーを受取り、感じ、生み出す力がとても大きくなっているのを感じました。
これから、彼女がシャスタ山に導かれ、彼女の役割を開花し、ピカピカの虹になる事を楽しみにしている私です。
操ちゃん、どうぞ、あなたの肉体に感謝を。素晴らしい!
そして、あなたの心と身体と魂の統合にに立ち会えたことに感謝致します。

2003年5月17日(土)

待っててくれる命たち

歩くようになって私の体は喜びを一杯受取っている。歩く事が嬉しいだけでなく、自然との触れ合いが嬉しいようだ。お日様が「明日はもう少し早い時間に会いにおいで」と言ったように感じたので、この頃はスタート時間を早めている。
雲の中に顔を隠したままのお日様。でも風も穏やかで温かい朝だった。
お日様は時々雲のすき間から顔を出し、柔らかい光を注いでくれた。でも、殆んど雲の中にいた朝。
それでも、私は歩きながらお日様の存在を充分に感じていた。お天気が悪いとかいいとか・・・誰が決めるのだろうなぁと、思った。今日のようにお日様が顔を見せなくても、今日の私はお天気が悪いなんて全く感じない。これはこれで、絶妙な調和。必要な曇り空だよなぁと感じる。一つの音楽に強弱があるように、お天気もまさに音楽のように色々に織り成され奏でられているかのようだ。

私は見えない、触れないお日様を感じる。私は触れない海を感じる。触れない崖の所に咲いている花を感じる。例え手に直接触れなくても、彼らの息吹を感じる。そして、私がそう感じた時、彼らとの間に気を感じる。
温かい気の交流。それを感じると又、喜びが湧き上がる。
こうして、私は手に触れないものとも交流している。気を受取っている。それが嬉しくてたまらない。

そうか・・・こうして命と交流する事は、人と人とももっと交流出来るはず。知らない人でも、すれ違っただけの人でも。気と気の交流が常に流れているんだな・・・じゃあ、その交流を「笑顔」で流してみよう。と思った。
同じ交流するなら、気持ちいい方がいい。相手が感じようが感じまいが、それはいい。
私はそんな風に笑顔で交流したい。

行き交う人にすれ違う人に「笑顔」を流し、「おはよう」と言った。
私には笑顔がある。笑顔は安心する交流の役割だってしてくれるはず。
外に出ると、沢山の命が待っている。その場に生ききっている沢山の命が待っている。
だから、私は歩きたかったのだな。
その事を今は体中で感じている。

2003年5月16日(金)

薄紫の世界

私は薄い紫色に惹かれる。ヒーリングのお部屋も白と薄紫を基調にしているけれど、この色を見ていると溶けていくように幸せに包まれる。
きっと、色にもメッセージがあると思うがアメリカに来てから、私は薄紫がラッキーカラーになっている。
エサレンで初めて夫がくれた花が薄紫だった。桔梗のようなその花の名前は分からないけれど、覚えている。
すみれ、ラベンダー、藤・・・紫色の花にも惹かれるし、着る洋服も目につくのが薄い紫。
私たちのアメリカでの結婚式も白と薄紫を使いデコレーションをしたほど。

月に2回のお煎茶のお稽古で、参加者の方が必ずその日はお花を持ってきてくださる。朝にお庭で摘んでくださった花をバスケットに入れて運んでくださるのだ。その生き生きとしたかわいい姿。
見ているだけでわぁ〜っと、声が出る。
私が薄紫が好きな事をご存知だからか、最近はその色の花を沢山下さるのだ。 私はそれをお茶席にもいけさせていただき、その後ヒーリングルームにもいけかえる。
見ていると薄紫の精たちの世界に引き込まれていく。しばし、眺めては溜め息をつく。
大好きな薄紫の世界。そこには妖精達の姿が隠れている。

2003年5月15日(木)

今日は夫トニーのお誕生日。

結婚前も結婚後も夫は全く変わらない。独身生活の長かった夫は、身の回りの事は当然自分でしていたし、その習慣がついている。ベッドメイキングやお掃除はとても上手で整理整頓も完璧!
我家が片付いているのは、夫のお陰! (^_^)v
結婚して驚いた事は、夫は私が食事を作っても洗濯をしても、必ずその行為に対して「ありがとう」と言い、毎回の食事を褒めてくれる事。「当然」だと思ってしていることに対して夫はいつも「ありがとう」と言ってくれる。それは今も変わらない。
今まで自分でしていたことを、私がする事に毎回感謝の気持ちを言葉にしてくれる。日本の母から「女性が家事をするのは当たり前なのだから」と言われ育ってきたけれど、恋人同士の時ならまだしも、結婚して何年もたっても夫のねぎらいは変わらない。だから、そんな夫をいつも「すごいなぁ」と思う。

昨夜のバースデーイブに2時間のフルボディマッサージをプレゼントした。最後に足の裏から気を流した時、私がみたビジョンは夫が気を受取り、そして発し流したものは、夫の百えから舞い上がり、夫の体の上をキラキラとした星が降りそそいだものだった。私はそれを「きれいだなぁ」と見ていた。
そして、この人は本当にきれいな人だなぁと改めて思ったのだ。
私にとっては、夫は旦那様だけれど時々「守り神様」かな・・・と思う。
私をよく見ている人はみんな感じていると思うけれど、私が伸び伸びとアメリカという異国で何の恐怖もなく、自分の進む道を歩いていけるのは、夫のお陰。夫のエネルギーがあるからだと自覚している。

最近、友人たちとよく話すのは「21世紀型の男性とは・・・」
それは、アフリカンドラムを叩く男性のようにカッコいいのだ。女性を高揚させ、女性のエネルギーを体の中からほとばしらせ、沸き立たせる器のある男性。それは、舞台をしっかり支える力量がいる。
その支えられるエネルギーを受けて、女性はどこまでも安心して、舞い上がる。天女の羽衣をまとうように。
アフリカンドラムを叩く21世紀型の男性とそのリズムで全身で踊る女性。 その陰と陽の組み合わせこそ、私は男女の基本だと思っているのだ。忘れ去られたそんな男女の関係を21世紀に現れるといいな・・・
我夫は21世紀型の男性だと私は認識している。

かっこいい夫に、お誕生日おめでとう!さ、今からバースデーケーキを焼きましょう。

2003年5月13日(火)

(このダイアリーはメルマガ23号で掲載致しました。)

−大調和の世界−

カタリナ島へヒーリングアドベンチャーの旅に出てから、ライブで感じる自然の力をより以上にキャッチした私の身体は、とても活性化された。
島での数日は最高だったけれど、あの「ライブな感覚」が忘れられない。ヒーリングをさせていただいている私が癒されていく、あの大自然の中。
彼らの力は何をもってあるのだろう・・・と、思っていた。

☆見る事から感じる事へと☆

日常の私は海を見る事は毎日だけど、海に出かけていくことはそれ程ない。でも、あの島での感覚が忘れられない。「歩きたい!」とその後、私の身体は伝えてくる。「朝日を浴びたい」と言っている。
私はその声を聞いて、早朝ウォーキングをはじめた。私の住んでいる所は海沿いなので、岸壁沿いにウォーキングコースがあったりする。先ずは近場の家の周りの散歩道を歩く。
タウンハウスの周りはコンクリートになっているが、少し歩くと土の上をそのまま歩けるようになる。見下ろすと絶壁!波の音が聞こえ、鳥がなき、海風を浴び・・・と、もう身体は喜んでいるのがわかる。
踏みしめる大地に、肌に触れる風に、身体の芯に流れ込む太陽の光に、喜びと感謝を感じる。
歩きながら目に入る色々なものに「おはよう」と声をかける。あ〜、みんな生きているなぁ!嬉しいなぁ!
空を見上げると青空にかわいい白い雲がいくつも浮かんでいる。透き通った青い空と白い雲を見ると、思わず手を広げたくなる。

☆ナチュラルヒーリング☆

いくらか歩いて、ベンチに腰を下ろして目を閉じた。お日様は私の左手にあがっていたので、背中をお日様に向け直して座った。少し腰がはっていたので、お日様ヒーリングをお願いした。
しばらく目を閉じていると、流れ込んできたメッセージ。
それは「大調和」だった。
波の音、鳥の声は私の身体を揺らしている。軽やからに。風も同じく私の中にまで通り抜け、流している。大地はジンジンとするほど、私の両足裏から気を流しいれ、お日様の光は仙骨を温め、神経を解きほぐしながら、気を入れる。 これは、大調和なる自然界のヒーリングの姿。
自然は何の計らいも、気負いもなく、ただその中に訪れた命を調和させる役割をしている。それが彼らの本能であり、天命。
自然は調和されている。常に。
自然の中に入って、元気になったり、気が晴れたり、病気が治るという事はこの「大調和」を受けるからなのだ。不調和な何かが彼らによって調整されていくのだ。

☆地球に生まれた幸せ☆

人間以外の生き物はその大調和の法則に従って生きている。
私たちはなんとありがたい「地球」という星に生まれたのだろう。本来、その「大調和」がある星に生まれているのだ。
ただ、私たちがそれを忘れてしまっているだけ。それだけ・・・
きっと、思い出せる。この星に生まれた私たちはきっと思い出させる。私たちも大調和の命だという事を。
私たちが不調和を生み、生み出してしまった戦いや苦しみや病気。それを教えてくれるのは、自然の姿。しかし、多分、信仰も又、それに気づき、導く役割のものだと思う。
私は大調和の法則の中で生きているんだ。短い私のウォーキングは大きな大きな気づきと体感の時間だった。
お日様が私にこう言ったように聞こえた。「明日はもう少し、早い時間に会いにおいで」と。明日は何を感じるのだろう。明日も又、歩こう。

みなさんも是非、この季節、自然の中に出かけていってください。身近にある自然を探してみてください。きっと、みなさんがおられる場所にもみなさんを導いてくれる命たちは沢山、生きていると思います。
耳を澄まして、大きく深呼吸をしてみましょう。
きっと、聞こえてきますよ。大調和の響きが・・・・

2003年5月11日(日)

このダイアリーはメルマガ22号で掲載致しました。

「母の日」

アメリカは今日が「母の日」です。日本は昨日でしたね。
日本の母に電話を入れ声を聞きました。私のように親と遠く離れていると高齢化してくる母の事は常に気になりながらも、なかなか顔を見せに行く事も出来ず、やはり心が痛いです。 なるべく元気なうちに一度でも多く母と過ごす時間を作ろうと思う今日この頃です。
肉体を運ぶのは「時間」がかかるけれど、「思い」は瞬時に届くもの。昨日の母の日にはその「思い」を「アジサイの花」にのせて母に贈りました。
母は電話で妹と私から届いたそれぞれのお花を嬉しく眺めていると話してくれました。
どんな人も母から生まれました。この世に私たちを運んでくれた「母」に改めて感謝を捧げたいですね。
おかあさん、ありがとう。

−地球を癒す人へ−

−合掌(手)−

「かつて我々の両手は、山からの湧き水や川の流れから飲み水を上手にすくい取り、人間に与えられた天の才、天の恵みに霊を尽くし、輝ける発明に励んでいたものです。
かつて我々の五本の指は、ドラムを打ちならし、自然と語らい、笛を吹き鳴らして、動物と交流し、唄を歌い、宙を舞って、収穫を喜んだものです。
このように、かつて我々の手は、人類と動物、人類と生きとし生けるものの結び手として役立っていました。さらに人々は手を差しのべ、お互いの愛を確かめ合っていました。その手を固く握りしめ合えば、いかなる不安、恐怖さえも乗り越えることが出来たのです。人はみな、手を通し、互いに愛し合い、慰め合い、信頼し合い、いたわり合い、そしてさらに癒し合っていたのです。

−中略−

私の手、この手は何でも出来ます。この手に感謝したことがあったでしょうか。歯を磨き、顔を洗い、身体を清めることも手の役割です。食事をするのも、ペンを握るのも、この手の働きです。
自分の痛いところを摩り、手をあてて癒すのも自分の手の仕事です。花をいけるのも、掃除をするのも、楽器をならすのも、この手の存在があるからです。
人を励まし、人を感動させ、人を助け、人のために尽くせるのも、この手のお陰です。我々は一度でもこの手に、この指に感謝したことがあるのでしょうか。
聖なる手、本当にありがとう。大事な事を教え、導いてくれるこの手に全感謝あるのみ。
人類はみな両手のひらを合わせて、宇宙神に祈りを捧げるのです。毎日の聖なる合掌こそ生きた手の働きです。」
「地球を癒す人のハンドブック」西園寺 昌美著より

−感謝するということ−

今、私自身も含めまわりの友人たちやクライアントさんと共に考え、話し合っていることが「感謝」です。
それは、わかっているようで、頭では理解しているようで、なかなか行動にうつすことは難しいし、忘れてしまっている事だと思います。
特に自らの身体に対しての感謝は忘れがちです。24時間休む間もなく働きつづけてくれる肉体に対し、私たちは当たり前と思っているし、酷使こそすれなかなか感謝し、いたわる事をしません。
大事にするという事の根源は「感謝」をもつという事から始まるのかもしれません。
食べ物に、肉体に、水に山に・・・と生きとし生けるものにより自分が生かされている事も、日常では当たり前の感覚の中で流されてしまっています。
そして、地球の限られた資源を大切にする事をうたっても、その中に怒りや悲しみの波長があっては、広がっていはいかないという現実。

ものを大切にする・・・・その行動は感謝の念から生じる。
それには、そのものに「意識」をおくという事。
私たちの肉体に意識をおく、食べ物に意識をおく、水に意識をおく・・・
その時、語りかけてみましょう。「いつもありがとうございます」と。
言葉のエネルギーを流してみましょう。命あるものに対して。
その意識の繰り返しは、きっと私たちの中の深いものにコンタクトし、何かにスイッチが入るはず。
人間誰しももっている、「感謝」の念に触れるはず・・・
そして、必ず彼らは受け取り、彼らのエネルギーが蘇り、より輝く。きっと!
私たちはいくら頭で理解しても、身体の奥底からエネルギーは湧き出てこない。

意識を変え、意識をもち、行動に移してみる。
この思いを綴る私の手。パソコンのタイプを打つ、私の手。
文明の恩恵にのって電波の力をかりて、思いを伝える。
私は今、この瞬間の私の手に「感謝」をもつ。

ありがとうございます。


2003年5月6日(火)

リアホー ヒーリングアドベンチャー

日本から来られていたお客様を今日のお昼前お見送りをした。
今回のヒーリングアドベンチャーは私自身をも癒される大自然の愛を体中に感じる旅だった。 初めて私たちが所有する船(リアホー号)を使っての、ヒーリングアドベンチャーは、カタリナ島への旅が中心となった。カタリナ島は我家からも見える島でフェリーなどを使えばロスから1時間程、エンジンを使わず風だけのセーリングだと4−5時間。


私たちは夜中に出発し、船で眠って翌朝には島に到着。帰りは穏やかな海のセーリングを楽しんだ。

今回は「エメラルドベイ」という文字通りエメラルド色をした海へと向かった。ロスからこんなに近い距離でエメラルドの海。カリフォルニアの南から北へとヒーリングへの横断をするという今回の旅の始まりは、その美しい島からスタートされた。
日本から来られた参加者の皆さんの心の中のワクワクは今にもほとばしりそうだった。


大自然の中で素直に身体に向き合ってみよう。大丈夫、そのままの自分でいいよ。海が島がみんな抱きしめてくれるから・・・その絶対的安心感の中で、ゆっくり身体の声を聞いていこう。そして、心に繋げていこう。一繋がりの世界へと。

夫トニーは今もプロのボートキャプテンでもあり、長くダイバーも経験している。海や船に関しては夫は色々な事を知り尽くしているし、何よりも海、船を愛している。そんな夫にアドベンチャーの舵を任せ、私は食とヒーリングを担当した。 私は、どうしてもヒーリングには「食」がはずせないと考えている。食があるから、ヒーリングになるとまで思っている。毎日、口から入る食は、私たちとダイレクトに繋がる大事な神聖なもの。 そして、それを自分の手で作る。心を込めたものを一緒に頂く。私の原点でもあるのだ。

天気予報によると島に到着した日から2日間、大雨になると・・・これは、困った!しかし、この旅が参加者の皆さんにとって必要必然の癒しの旅ならきっと、自然は応援してくれる!自然には逆らえないけれど、きっと必要なら力を貸してくれる。私はそう信じて、空を仰いで祈り続けた。
そして、やはり皆さんは守られ、応援され、大雨は到着翌日の夜から一晩降り続き、朝からはお日様が顔を出してくれた。おかげで、海を前に砂浜でヒーリングも出来たし、ドルフィンも何頭も姿を見せてくれた。いるかを見ながらのヒーリング。あ〜〜〜、私も癒されていく!
島はハイキングを楽しむ。島からの風景は素晴らしい。ここでは野生のバッファローも見られる。


参加者の皆さんを毎日、ヒーリングし身体からのメッセージを受取る。非常に興味深かったのは、約1週間程の日程で声は毎日、変化するのだが、それが全て繋がっていて、一日の気づきと変化で次のステップに進んだ事。
最終日は皆さん、初日のテーマへの大きな答えを受取られた。

それにしても、自然の力は偉大だ。私はいつも海を見ながらヒーリングをしているけれど、海の上では初めてだった。そのライブな感覚!波のゆれを感じながら、風と光、香り、私の周りにある命達の全てが流れ込んでくる。皮膚で耳で、目で・・・五感が敏感に働き始め、幸せ感と感謝の気持ちが膨れ上がる。 船の中でも、船の上でもヒーリングは続いた。

参加者のみなさんは、毎日「あ〜、幸せです」「生まれてきて、よかった」と言葉に出されていた。それを聞いて、私たちもとても幸せになり今回の企画を共にした高原操ちゃんとも喜びを分ち合った。

都会で緊張し身体を酷使し、身体に意識を向けないで暮らしてしまう通常の生活。だけど、無限なる愛の元ではそれらは溶かされてしまう。 私たちはどれほど、大きな愛の中で生かされているのか、自然はそれを教えてくれる。ヒーリングは愛と気づきの掛け橋となり、繋ぐ役割なのかもしれないと今回、私の気づきとなった。

毎日思いっきり自然の中で遊び、身体に触れ、身体の声を受取り、優しい食を身体に入れる。彼女達は日々、ピカピカの子どもの顔に変化していった。そんなかわいい彼女達を見つめながら、私はまるで母のような気持ちになった。

癒しは気づきがなければ、起こらないと私は思う。気づきは自分を認める事をしなければ、起こらないとも思う。
私たちはキラキラの光の粒。彼女達を見てそう思った。
美しい命に、沢山の感動をもらったヒーリングアドベンチャーだった。と、共に妻として、アドベンチャーの舵を担ってくれた海の男、夫トニーのたくましさを改めて感じた旅ともなった。

さて、参加者の皆さんは身体が活性化され、エサレンとシャスタが待っている!いい旅を!

この企画は夫、みさおちゃんの協力と共にこれから多くの方に体験していただきたいと思っている。


2003年4月30日(水)

はじまるカリフォルニア横断ヒーリングの旅

明日から日本からのお客様3人様をお迎えする。
彼女たちは、今年からはじまった「カリフォルニア横断ヒーリングの旅」にご参加される。
先ず、ロスに来られて私の方で約1週間、ヒーリングセションを毎日させていただく。そして、その間、大自然からの癒しの体験で、夫トニーが船でカタリーナ島へのセーリングにお連れする。
海風を体中に受けて、海の気を受取っていただく。海のもつエネルギーはいつもここにも書くけれど、「リリース」境界線のない海は自分の中にある滞った何かを開放していくお手伝いをしてくれる。
それをみなさんにも是非体感していただきたいと思っている。

お一人お一人抱えておられる事は違うだろうから、それぞれのヒーリングを自然の力をかり、助けてもらって過ごしていただけたらと思っている。
ヒーリングの間は、我家の海の見えるお部屋にお泊りいただいたり、船でお泊りいただいたりとし、どうしても「食」にこだわる私は全食事も担当させていただく。

日本の大都会での生活から離れて、住・食・自然(環境)・心と体のヒーリングと・・・と、トータルで今回はお世話させていただく。どんな変化が彼女達に起こるのか、楽しみな企画なのだ。
そして、都会でのストレスをリリースさせて、体を整えていただいたあと、彼女達は聖地「エサレン」へと向かわれる。これが次のステップ。
開いた心で訪れるエサレンで受取られる事は・・・・?

そしてまだまだ旅は続き、その先は「マウントシャスタ」なのだ。
これで、天界と繋がるあの何ともたまらないエネルギーを体感されると思う。 体を立て直し、日常の自分を振り返るロスでのヒーリング
そして、聖地へと入っていく準備が整いエサレンへ
極めつけのシャスタで天界との繋がりを体感。

なんて、豪華版!!
この企画は今年からサンフランの高原操ちゃんと共にはじめたもので、彼女がガイド・コーディネート役を請負ってくれている。
操ちゃんはシャスタのガイド役として大きなお仕事を渡されたようで、近くシャスタの写真集に彼女のコラムがのるという素晴らしい本が出版される。
益々、楽しみ!
さて、この企画。どんな風に展開していくのか・・・
又、ご報告させていただきます。

2003年4月26日(土)

−このダイアリーはメルマガ20号で発行致しました。−

森と海

自然がくれるエネルギーってそれぞれに特徴があると思う。森で過ごした2週間。森に囲まれて、包まれて、私は自分の中に入る旅が出来た。丁度その期間、私の中では消化過程にあったテーマがあり、それにじっくりと向き合う時間を森の中でいただいた。
自分の中にモヤモヤ、悶々とする感覚は、その向こうにキラキラと広がっていく何かを見つけられる前兆。闇と光のように。闇があって光がわかるように、光を知っているから闇もわかる。
物事を多方面から見るという事は、奥深い。

30代の頃、オーストラリアの熱帯雨林で過ごした事があった。あの雨林は地球のおへそのように母なるエネルギーの元だった。その時はビジョンクエストというたった一人で雨林の中に入り、食事も抜いて只一人で夜を過ごし、朝を迎え、自然と対話した。私は樹齢1000年近い老木の穴の中で過ごしたが、雨林は雨に見舞われていた。ゆらゆらと木々が揺れ、雨の音の中で過ごした夜。不思議に恐さはなく、時間とともに静けさを感じたほどだった。
雨林の中で自分を見つめ、地球とどれだけ繋がれるか・・・あの貴重な体験も今の私の中に生きている。

日本でディープエコロジーを学び、多くの仲間に出会え、三角のピラミッドの世界から丸い和の世界を体感したあの事実。それまで、物事を決めたり、行う時にあった世界は殆んどがピラミッド的な形であり、リーダーがいて先頭がいてと、縦の関係で進められる世界を沢山見てきた。会社にしても何かの会にしても。
しかし、ディープエコロジーの世界は違った。ピラミッド型から丸い型へと。その和の中に一人一人が存在し、分ち合う場。命の織物を織るように。それは私には新鮮であり、本当に望む姿だった。今、アメリカに来てここで私が生活し、暮らしているのもその丸い世界の体感があってだと思う。
アメリカに渡ってからも、そんな丸い世界をずっとイメージしてきた。ガイアシンフォニーを上映するボランティア活動を立ち上げた時も、私にはそんなイメージがあった。自分が行うワークショップやクラスをする時もイメージは丸だった。当然、丸は一人では作れないからそれを理解し共感してくれる人たちとの出会いと共に、今もそれを探っている。
人にはそれぞれ、望む形があるし、自分がいて心地いい形がある。
丸よりピラミッドの方が落着く人もいる事もわかる。

アメリカに来て模索している私自身。でもあの丸いイメージはずっと消えない。それはまるで花束のような世界。
色んな形と香りと色があって、一輪一輪の花が生きている。
それをリボンでそっと結んだ時に出来上がる「花束」その調和した香り。考えただけでも嬉しくなる。
リボンを解き放した時、花は一輪一輪又、それぞれの香りを投げかけてそれぞれの場で咲く。

あなたがあなたのままでいいのだという事。
私は私のまま、咲いていいのだという事。
それを結ぶ、柔らかいリボン。

今いるこの場所でそんな花束が出来る予感がしている。森の中でずっと考えていた事。枠を越えて繋がる世界の事。
芽吹いていく小さいけれど、とっても生き生きとした輝くエネルギー。 生活の中に祈りを。行動の中に祈りを。
形のない私の中の真実の声に繋がりますように。

そして、自分の与えられているこの「手」を使う仕事を通じ、私は表現していきたい。私の祈りとあなたの祈りが繋がる世界へと。
今は出会う方一人一人の「命」を手から感じる。その人がこの星に生まれてきてくれたその「事実」が私の中に流れ込む。
私の祈りとあなたの祈りが繋がる世界。それを「手」が教えてくれる。
体は祈りを感じ取る。必要なエネルギーが流れてきた時、必ず体は反応する。それが体感として、痛みが激減する事や、かたまりがほぐれる事となるのだ。体が芯から安心した事のサインとなるのだ。体は完全に心に繋がっている。私はそれを毎日のセッションを通じての体感から断言できる。心身一如。

もうすぐ、きれいな花束が私の目に映るのを感じている。そして、それをそばで支えてくれ共にいてくれる仲間に「ありがとうございます」

幸せな夜に。

2003年4月22日(火)

森からのいただきもの

楽しんでいた森での生活もあと数日。朝夕の冷え込みにはまだ暖炉を使い、森から枯れ枝をいただきに歩く。歩きながら、「おばあさんは確か川で洗濯だったよなぁ〜」なんてボソボソと思う。それにしても森の生活はなんて気持ちがいいのだろう。私だけでなく、ここを訪れる人はみんな「この森だ〜いすき」となり、越して来たいものだと土地の値段まで調べられた方もおられたほど。本当に、いるだけで幸せっていうこの感覚は森が100%ギブのエネルギーを発信してくれているからだろう。

雨の日、一日ぼんやり暖炉の前で火の番をしていた。誰にも会わずに過ごしたあの日は私にとっても珍しい時間となり、セルフヒーリングにはピッタリだったかもしれない。
風のない温かな朝は名犬2匹とハイキングをした。サンドイッチを作り犬達が誘導してくれて歩く。かわいい野の花に足を止めながらなんて贅沢な時間を過ごしているのだろうと思う。このエネルギーを体中に一杯詰め込んで、私の今日に繋がるのだなぁ。私の体の中には風もお日様も、花の香りも大地の感触も全部全部生きている。感じて頂いて、私の体の一部になる。

鶏とあひる達は一日中森を歩き回っているが、彼らはお日様が沈むと全員小屋に帰っている。なんとお行儀のいい!その頃、私は小屋に行き、小さな扉を閉めてやる。マウンテンライオンも来るのでね。森に来るといつもはあまり食べない卵料理もハッピークッキングとなり、黄味の大きさと美しさに毎回声をあげる。

きっと、私は忘れないから。この森でいつも頂く事を。もの言わぬ動物や自然から受ける無限なる愛のメッセージを。そして、私の生活の中で私なりにここでの頂きものをお返しさせていただきます。森に約束する。

2003年4月22日(火)

かっこいい人

−このダイアリーはメルマガ19号で発行致しました。−

今思うことが大きく二つあって、「かっこいい人について」と「枠のない祈りの世界って?」という事。私の心の中に芽生える感覚です。
今回は「かっこいい人」について書いてみたいと思います。
私が最近、「かっこいいな〜」って思う人は、力みがない事と共に、「天職」とか「天命」を強調することなく、縁のあった目の前の事や仕事や人に対して「心」をおける人・・・かな、と感じています。

大好きな友人はその一人で、日本で一人で美容院を経営しています。私と同世代の男性ですが、この道25年になるプロフェッショナルな彼に私は聞きました。「美容師という仕事はあなたの天職だと思う?」と。返って来た返事は「そうだなぁ〜どうだろうね。でも、生きていく為のものだよ」という言葉でした。そして「でもね、毎日一生懸命仕事をしているとね、いい事も一杯やってきてくれるわけで、素敵な出会いにも恵まれる。ありがたいよね」と言いました。そして、彼はある日、「自分の命だよ」と言って日ごろ彼が使っている10種類程のはさみと仕事道具をデジカメでとって送ってきてくれました。 私はその写真2枚を見た時、何とも言えない気持ちになって、「はさみ」や「仕事道具」に宿った命を感じ、それがまさに生き物のように私には見え、美容師になって初めて買ったはさみも今も大事に使っているその姿に熱いものを感じました。感動でした。

「生きていく為のものだよ」と彼はさりげなく言ったけれど、私は彼の仕事道具に命を見、きっとこの道が彼の天職なのだろうなと思いました。だからこそ、彼の元にはお客さんが絶えることなく日々あるのだと思います。技術だけではない、命やハートが道具を通じて私には流れ込んできました。

  ☆自分の道☆

自分の道を探せなくてもがいている人は沢山います。私自身もそういう時代があったし、私の周りの方々も模索中の方は沢山います。
私は自分の直観に従って生きるタイプで、その方向性は常に「どうしたら自分がもっと喜ぶか」でした。そのワクワクと心が躍動していく方向が私の方向だったし、いつもその匂いを捜していた気がします。
自分の持っているこの「手」を何の為に使いたいのかと考えていた長い時間。どうしたら私のこの手がもっと喜ぶかと自問していた時間。
出あったり別れたり、再会したり、回り道したりと探していた時間。

人にはそれぞれ役割があって、みんながその役割という天職につけたらきっと素晴らしいと思う。だけど、その天職というのは本当に色々な姿があって、それが「職業」となる事だけではないと近頃思う。
それはその人の「存在」そのものからかもし出されるものかも。
何かが出来るからではなく、何かをしているからではなく、その人がその場で生きている、その事。

今いるこの場所に心を置けるなら、きっとその場所に自分が顕現されるに違いないって思う。心が置けないから、さ迷い、探し続けるのかもしれない。
身近な小さな事は、地味でインパクトがなく誰にも認められることじゃないかもしれない。
でも、私が生きているのは今、この瞬間。この場所。
そこに自分が生ききれたなら、その繰り返しと延長線上にきっと何かが展開してくのかも。

  ☆魅力ある生き方☆

一つの事を続けるエネルギーは大変な事。その続ける繰り返しの中にその人自身が生きていれば、それはもう私からみれば申し分なく「かっこいい!」のだ。
何をするか、しているかという表面的な事ではなく、それにどう関わり、どう生きているかによって、人の魅力は出ると思った。

私たちが生きていくには、様々な役割の人が必要。そのどれもが尊い役割なのだ。この森で動物や虫や鳥が自立し助け合っているように、私たちもそれぞれの役割に目覚め、今いる所に心を置けたら、もっと美しい循環の和が起こるのだろう。光は遠くにあるのではなく、自分の中から呼び起こすものだもの。

私のかっこいい友人。う〜〜〜ん、やっぱりかっこいいと思うのだ。

無限なる感謝

2003年4月16日(水)

森の生活

私たち夫婦の仲良しのアメリカ人カップルの中に森の家で暮らしている人たちがいる。森と言っても、ロスの中。ロスにこんな所があるの〜!というほどオークツリーが生い茂り、一年中緑に囲まれている。
私たちは年に2回、ここで2週間程の滞在を依頼されるのだ。つまり、ハウスシットなのだ。森には馬、あひる、鶏、犬、ネコなど動物達もいてみんなご機嫌に暮らしている。一日森を歩き回っているあひるや鶏達のなんと健康的な事。毎朝産みたての卵を頂く事もこの森にいると味わえる贅沢なのだ。
今、私はその森の中にいる。

ここに来ると、しばし「森のヒーリングルーム」と称してクライアントさん達もリトリートのような気持ちで訪れられる。少々ドライブをしてもこの森でゆっくりとくつろいで行かれるので、なかなか楽しいご様子。 今日はとても温かいので外でセッションを行った。鳥のさえずりと風の音。お日様の温かさを浴びながらの野外ヒーリングは、やはり癒しの効果は倍増だと感じる。私自身もその自然からのいただきものを受けながら癒されていく。 本当にいつかこんな自然の中で暮らせたらな・・・と夢をみる。

この森に来ると必ず自然の恩恵を頂いたワークショップを行う。

先日の日曜日もみんなが集って下さり、「ハートを開こう」と題したチャクラへフォーカスしたワークをした。森から7つの頂きものを受取る事からはじめたこのワークは、森の命たちと参加者一人一人が繋がり、森の命を通して自分を見付け出す事になり、きっと今まで見ていたようで見ていなかった自然の中に生きる命たちを発見されたと思う。木の葉が敷き詰められた大地に横になり、地からのエネルギーと木漏れ日の光を天から受け、言葉はなくとも五感は開放されていく。
自然の中にいると余計な言葉はいらない。もう、ここにいるだけで心が緩んでくるからだ。

そして、ワーク終了後はみんなで大きな声で歌を歌った。森の中に懐かしい日本のフォークソングが流れこだました。

多分、アメリカにいてこんな風に日本の懐かしい歌を歌いつづける事などなかったと思う。みんなの顔は子どものようにかわいく、輝いていく。

大自然の愛は無償。それに抱かれる幸せ。ありがたい。私たちの心の平和がきっときっと、広がりますように。祈りを込める。

2003年4月8日(火)

絶妙なるタイミング

昨日は友人が紹介したい人がいるからと、日本からのお客様を連れてきた。その方はマザーテレサの写真展をロスで立ち上げたいとの思いで今回来られていた。アメリカに来てからご縁を頂く日本人の方も多くなってきた。 ロスに住む前に暮らしていたキャンブリアという街は殆んど日本人に出会うことはなかったが、広いロスには日本人が散らばりながらも沢山暮らされている。

多分、日本にいたら出会わなかったような方々ともこの地では出会っている気がするし、関西から離れた事のなかった私が、今回りにおられる日本人の方は北から南へと出身地も様々なので面白い。

実は、一昨日私のPCに問題が起こった。私は仕事のやり取りは殆んどメイルで行っている。仕事だけでなく、親しい友人との交流も今はメイルが中心だ。そのメイルが開かなくなった。それも突然・・・
PCは理由のわからないトラブルはよくあると思うけれど、メイル機能が使えないと私はたちまち身動き取れなくなってしまう。消去できない大切なやり取りも全部保存してある。どうにもこうにもアウトルックが開かない。

そして、その翌日。友人に相談しようかと思っていた矢先、彼が連れてきてこられた方がPCの専門家だった。あ〜〜!と藁をもすがる思いで、状態を説明した。快く私のトラブルをみてみましょうと言って下さり、ホッとしていると・・・なんと、アウトルックのシステムそのものがごっそりと消えてしまっていると言われた!本来、必ずPCの決まったところにシステムは残るようになっているのが通常なのだが、それがないと・・・!完全にPCから姿を消してしまっていると。わあ〜〜〜。どうしよう!メイルアドレスも全部消えた。大事なやり取りも全部消えた。アドレスやメイルのやり取りを違うファイルに保存をする事を・・・していなかった・・・・わあ〜〜!

友人は一言「みつこさん、手放す事も大事ですよね」と。は〜。そうは言われても、手放せない〜。と落ち込んだ。でもそのPC専門家の方は私のPCのいたる所を探してくださったがやはりごっそりと消えていると宣言されたのだ。 もう、こうなってはどうしようもない。「あ・き・ら・め・ま・す」

原因不明の突然の出来事だったが、何か意味があるに違いないとビンビン感じていた。そして私たちはとても深く深く語り合っていき、私の中ではもう消えたメイルのやり取りも大切なアドレスも全部、諦めて、気持ちを切り替えていた。私たちの話題は「手放す」という事から、自我、ビジョンをもつという事、祈り、繋がり・・・とドンドンと深くなり、気づきの時間へと流れ込んでいった。何時間話し込んだだろう。

そして、一区切りついて「あ〜、やはりこういう事がギフトなんだよね。この気づきがね。私は今回の事から充分改めて感じ取ったよ」と言い合いながら、数時間にわたる深い会話でのそれぞれの気づきに満ち、一息ついた時だった。友人のそばに置いていた私のPCに目を移した専門家の方は声を上げられた。「あ・・・・今、戻ってきている。消えたアウトルックが復旧してきている!」と。もう、私たちは「嘘でしょう〜〜!」と声を上げ覗き込んだ。わあ〜、全部ある〜!蘇っている!!「何故?何故、蘇ったの??」と聞く私に「わからない。考えられない」と。専門家は答えられる。

私のPCにトラブルが生じたのは、一昨日、そしてそれを知ってかのように訪れたPC専門家の彼。そして、深い魂の話。気づきへの旅を共にし、旅から帰ったと同時に3次元レベルでのPCの復旧。
このタイミングって、何なのだろう?

何だか、どこかで誰かが全部見ている気がする。この出会いもこの設定もこのトラブルもそして、気づきの後にやってくるギフトも。
私はこのような体験を何度もしているが、いくら大雨の集中豪雨が降ろうと、気づきを得た瞬間、その雨は嘘のようにあがる。
気づきの繰り返し。起こる事は全てギフト。頂いて、学んで次に進む。それは日常の中で繰り返し起こる私たちの学びと成長。あ〜、今回も絶妙なタイミングでこれを体験させていただいた。
そして、今回の出会いと深い気づきの旅の中で、私はハワイにご縁を頂く事にまで繋がっていった。ハワイ島・・・さて、この旅の続きは今の私にはまだ分らない。
未来は果てしなく、続いているのだけはわかる。それは絶妙なタイミングで大いなる大自然がとりはからっている気がする。安心して旅をしよう。

無限なる感謝。

2003年4月2日(水)

気の循環と交流

「気」というのは誰しも持っているものだけれど、大切な事はそれを活性化し、交流させ、循環させる事だと思っている。

個人的に仲良しのお友だちでもある、きみこボーニさんの誘導の元、私も呼吸法を習っている。呼吸法は基本的には足の底から吸い上げていく長い呼吸で、頭のてっぺんの百えまで吸い上げ、又丹田に落とし全身に流していく。
呼吸法は血流をよくするばかりでなく、体中の細胞を活性化させて覚醒させる。表面的な筋肉の硬さと内面的なコリをほぐしていく事も特徴だ。
呼吸法を続けるとあくびの連続。体が緩み始めるからだ。涙もボロボロと出てくる。

そして、際目付けが「対気」と言われる気の交流。これで、気持ちよく巡り始めた気が一気に全身を駆け巡り、頭はスカッ!!と晴れ渡る。同時に心はワクワク、嬉しくなりエネルギーに満ち満ちる事は何度も体験している。
対気は一人でするものではなく、人と気を交流させるのだが、自分が丹田から放つ気を相手が受取り、相手の気がそこにプラスされて又自分の丹田に打ち返される。だから自分に入ってくる気はダブルパワーという事になる。その交流は本当にアッという間の瞬間に起こり、バキューンと気が丹田めがけて打たれる感じだ。それで体は吹っ飛んでしまう。

私はきみこさんと「対気」をしてもらうが、何度も体がぶっ飛んだ。体を横にして交流する事も出来るが、その時はやはり足底から気が入ってくるのが分る。気が体の中を動いて上がり、丹田にぶつかると子宮がブルルンと動く、時には沸騰したお湯のようにグツグツと音もでるから面白い。
この写真は3月30日の呼吸法の時の写真で、対気をしている様子だが足底と百えに手をあてられている私の体は気を感じ取り、足、背中が床から浮き出す。そして、より気が流れて行くと、次の写真のように足先も床から浮き、さらに体はすごいバネではじけるようにジャンプする。その時床に着いている私の体の部分は頭の所のみになる。



以前は尾てい骨だけが床について、あとは全部体が浮いた事があった。まるでアクロバットの世界だが、体は完全Vの字を作ったようだ。
私はその時、自分で自分の体をコントロールは出来ない。完全に体が思うまま。体が開放されていく瞬間でもある。しかし、これは気が入っていないと絶対に出来ない。腹筋も背筋も通常の私の力とは全く違うし、火事場の馬鹿力とでもいうようなパワーも出て、大人二人をグルグルと回してしまったりもする。いや・・・これは全部事実、体験した事なのだ。

私が呼吸法の素晴らしさを感じるのは、この「交流」なのだ。交流して循環すると体中に血液、リンパ、神経、ホルモン、気が本当に流れるということ。そうなると、人の体は信じられないくらい「快晴」状態になり、すっきりと冴え渡り、体からワクワクとするエネルギーが出てくるのだ。だから、私は命と命の交流の素晴らしさを皆さんにも体験してもらいたいなぁって常に思う。気は交流して、循環させるもの。そうして活性化させていくものだと思う。それは体だけでなく、生き方も、ものの見方、考え方にも大きく影響する事を体感しているのだ。人間同士は当然の事ながら、植物、鉱物、その他の動物とも私たちは交流し、循環させ互いの命を活性化させていくことが出来るのだ。それはやはり、共に生きる事にあると思う。

2003年4月1日(火)

印のエネルギー

いよいよ今日から4月。日本は桜満開の様子。日本の友人がデジカメで撮った満開の写真を送ってくれる。あ〜〜、満開の桜を浴びたい!と思う今日この頃。

寺山先生との出会いを境に「バイブレーション」の世界。響き、共鳴の音の世界をとても敏感に感じるようになっている。今までもこれからも、私は私の肌質にあうもの、自分が取り入れて心地よくなるものや事や人との繋がりを大切にしたいと思うが、そんな私が生活の中に取り入れているものに「印を組む」という事がある。
お釈迦様や観音様、色々な仏像も印を組んでおられるがこの「印」というのは、エネルギーの流れる様を現わし大いなるものとの繋がりが表現される。いつもそうだが、関心をもったり、必要に感じるものに関しては必ずそれを導いてくださる方とご縁がつく。今年に入って、改めてご縁が深まってた浦野みど里さんという女性は私に本当に精神誠意この「印」の意味を教えてくださり、彼女の美しい印や心の持ち方に多いに学びを頂いている。(右下の写真が対立のない世界を・・・と祈り印を組まれる浦野みど里さんと)

私は呼吸を使い、音を使い、体で印を組む事を覚えた。これが何とも心地よい。日本語の音のもつ響きとエネルギー。そしてそれにあわせてゆっくりとしたリズムで手を動かしながら、印は組まれる。

深い呼吸をする事で、気持ちが落着く。そして、真っ直ぐに伸びた背筋から一線に流れ込む「気」を感じ取る。心がなんとも平和になるのだ。だから、私は印を組む。「母音」をテーマにワークショップをした事もあったが、アメリカに来てからより強く日本語の音の響きとパワー。そこから流れ出るエネルギーを感じているが、異国で日本語を響かす私たち日本人も又、何か意味があり祖国を離れ、この場で「日本語」を響かしている気がするのだ。 友人の前で私は一音一音を丁寧にゆっくりと呼吸にのせながら印を組んだ事がある。目の前で見た友人達は色々な事を体感された。響きが体中に流れ込んでくる事や、その場の空気が変化すること等、感じる事は様々だけれど、一応に彼らの表情が変化するのを私は見た。
なんて表現すればいいのか・・・多分とても「神聖な表情」になると言えばいいかな。

その体感がいつも大切だなと思う。体感するとそれはその人の中で事実になるからだ。私もいつもこの「体感」を自分の指針としている。 印は今の私にとって自分を平和にし、自分の周りに平和のエネルギーが流れ込むようにとの祈りの行動の一つ。それは「体感」の中で感じ取った私の事実なのだ。

そして、最近ずっと思っている宗教と信仰の違いや枠のある宗教的思考に囚われたくない私は、自由なエネルギーの世界を満喫したいと思っている。 「響き」は光年の世界。思いも同じ。ネガティブな想念のリズムとポジティブな想念のリズムの違い。
私に口があり、手があり、足があるのなら。出来る限りこの肉体を「無限なる調和」や「無限なる愛」に繋がっていく為に使いたいと思う。 私は印を通して響きを感じ、それは無償・無限なるものと直結する素晴らしい感覚なのだ。

響きあう仲間と今のこの時代に私たちの本当の志や祈りを響かせていきたいと思う。

2003年3月30日(日)

集いの時

毎月月末の日曜日、我家では「セルフヒーリングクラス」というのを行う。自分の身体や心の不調を自らの気づきで癒していきたい、そしてそんな仲間が集い、語り、食し、分ち合う場。私もこのクラスがいつも楽しみなのだ。
体調が優れない人たちが集うと、エネルギーは結構重たくなる??と思われるかもしれないが、このクラスは全然違う。反対に私も元気を頂く。
みんなの前向きな志やいたわりの心、そして素直な人間としてのかわいらしさ。私はいつもそれを感じ、癒されていく。

今日も2階のヒーリングルームで先ずは海を見ながらの瞑想の時間を少しとり、慌ただしく揺れ動く心を落着かせる事から始める。 みんなが作った和は、一人一人が海と繋がり穏やかになったエネルギーで作られていくのだ。海はどんな時も必ず、力をかしてくれる。いつもそう思っている。

今日の海も穏やかで青々しく広がっていた。けれど、この数日、この穏やかな海にも軍のヘリが飛んできては低飛行をし、海面ギリギリに何かを探すように音をたてて飛ぶのを見かける。そういう光景は心を緊張させ、不安と恐怖が訪れる。毎日のニュースや情報で私たちのハートも固くなっている。

今日は、そんな私たちのハートをなるべく緩まそうと試みた。言葉をあまり使わず、人の手のぬくもりを感じたり、背中の温かさを感じたり、言葉の波動を感じたり・・・そんな時間を多く持った。みんなは口々に言う。「手はとても温かく、安心した」と。日ごろ人に触れられるのが慣れていない人であっても、みんな温もりを欲している。心穏やかに安心したい。孤独から抜け出したい・・・思いは誰しも同じだと思う。そんな心が緩みますように・・・一人一人が朝日を思い、海を思い、ハートに触れる。

涙が出る。心が緩む。人の前で泣ける。そんな素晴らしい時間が今日は流れた。それはこの場を信頼すればこそ、起こる現象。一人じゃないんだと感じられる小さな和があった。素晴らしいと思う。

そんな彼女たちに「ありがとう。あなたの中の平和を見せてくれて」

2003年3月28日(金)

宗教と信仰

ロスにも講演会やダンスワークでお招きする翻訳家の山川ご夫妻がおられます。とても平和的なお二人でご一緒にいると心がほぐれ、力が抜けてくるようです。
紘矢さんが書かれたメルマガに心響きました。私自身もこの所とても考えるテーマでしたし、その「違い」をずっと探っていました。人との出会いで色々な自分の中にあった疑問が解決されている今。わからない感覚が腑に落ちていくプロセス。大事だなぁと思っています。 転送可能という事ですので、ここでシェア-させていただきます。みなさんにはどのように響くでしょうか?

紘矢です。
戦争、悲惨ですね。長引けば、長引くほど、何が起こってきても不 思議ではありません。生きるか,死ぬかで戦っている人々に神の御 加護がありますように。 一度戦争を始めてしまうと、両方とも、引くに引けないでしょう。 どんどん人間の残虐性が現れてくるでしょう。 神が自分たちについている、という考え方はおかしいですね。神は 誰にでもついていて、いつも私達を見守っていてくれるはずです。

パウロ・コエーリョの「アルケミスト」の一節を思い出したので、書 いてみました。「神が双方についているから」という言葉がとても印 象的でした。

ブッシュ大統領は神という言葉をよく使います。正義の戦争だと言 います。フセインも神という名を使うと思います。「これは、ジハー ド,聖戦である」と。正義の戦争も、聖戦もありません。ただ、残 酷な戦争があるだけです。

僕の場合、スピリチュアルな本の翻訳者として、信仰と宗教の区別 をはっきりと認識、区別をしているところがあります。人には宗教 は必要ありません。信仰は必要です。

時には一般のメディアでは宗教と信仰をあいまいに使っています。 ブッシュ大統領は信仰心の厚い人という表現があります。僕はそう いう時には信仰心が厚いなどと表現して欲しくないような気がする のです。ブッシュ大統領は宗教に凝り固まっている、という表現が 正しいにではないかと僕は思うわけです。それも原理主義的な宗教 心の厚いところが困ると感じます。もちろん、フセインも同様です。

僕が宗教をあまり信用していないのは、そういうところです。自分 の宗教を信じていない人間は異教徒だから、殺してもかまわない、 という理論がどこかにあるからです。そして、いつも自分の側が正 しいからです。

ジョン・レノンの「イマジン」に「想像してごらん、宗教のない世界 を!」というフレーズがあるのはそのためでしょう。

信仰はとても大切です。信仰とは神を理解することです。神をわか ることです。それはとりもなおさず、自分をわかることに他なりま せん。

あと一つ、宗教学者でさえ、「霊性」(スピリチュアリティ)と 「宗教」(リリジョン)を混乱しているふしがあり、残念に思います。 信仰とは霊性に通じているものだと思います。そして、「聖なるもの」 です。「宗教」に「聖なるもの」がないとは言いません。しかし、宗教は 「俗なるもの」というものと結びついていることは、誰の目にも 一目瞭然のことでしょう。 すべての人々に神の御加護がありますように。そして、一刻も早く、 一人でも多くの人々に、戦争はつまらない、戦争は人間としてして はならないものだという目覚めの時が来ますように。

2003年3月25日(火)

静の時間

月に2回、我家でお煎茶の会を行っている。お煎茶道と言われる世界は写真のように小さな湯飲みや急須でお茶を入れ、飲む。これがなんともかわいい。

呼吸を整え、間を味わい、その場に居合わせた人たちへの心配り・・・そんな時間はなかなか日常生活の中では見つけ出しにくい。小さな湯飲みに注がれる煎茶に心を込める。風の音や空気の流れがその場を包み込む。私はそんなほどよい緊張感が好きだ。

お手前を上手にこなす事以上に、お茶の世界の空間に無限なる安らぎを与える事は難しい。口に含む煎茶の味は入れる人によって見事に異なり、楽しめる。 時間を大切に過ごす事、目の前にある小さな世界に心を向けること。この延長線にある事がきっと大切な事。 全て自分から始まり、自分から変わる。変化を外に求めると同時に自分の中に変化を求めたい。この平和な時間を取り入れることにより、私の生活に気づきが起こる。

何気ないこと。それが大切な事。

2003年3月19日(水)

今だから

夫が帰宅して第一声が「始まってしまったね・・・」でした。今夜の食卓はやはり心が痛みました。 食事の前は二人で手を合わせました。この戦いが一日も早く終わりますように。世界人類が平和でありますように・・・ それでも、私たちは食し、片付け、寝て・・・と生活します。 色々な行動があります。自分は・・・? 生活の中に祈りをもつことも、自己満足かもしれない。けれど、自分の中に平和をもたない限り、同じ事が世界で繰り返される気がする。 自分の中のもやもやとした思い、人々の不安、怒りがチクチクと針のあるウエーブで空気中を覆っていくように感じる。 想念帯が作りだすエネルギーの世界。

私の中に平和を・・・ 今はそう祈りたい。 日本の友人から届いたメイルに心に響く詩が書かれてありました。シェア-させていただきます。決してブッシュ大統領に言えない「ありがとう」が、ここにありました。それは言霊となって響くと感じます。小さな声であっても、その力は無限だと。

「ありがとう、ブッシュ大統領」

(前略)

ありがとう、今世紀、ほとんどだれにもなしえなかったことを実現してくれて 世界のすべての大陸で、同じひとつの思いのために闘っている 何百万人もの人を結びあわせてくれて。 その思いというのは、あなたの思いとは正反対のものではあるのだが。

(略)

ありがとう、再びわたしたちに、 たとえ私たちのことばが聞き届けられることがなくても、 少なくとも自分は黙ってはいなかったのだと感じさせてくれて―― それは将来において、わたしたちにより以上の力を与えてくれることになる。

(略)

ありがとう、なぜなら、あなたがいなければ、 わたしたちは自分たちに 人を動かし、動員する力があることに気が付かなかったはずだから。 その力は今すぐには役に立たないかもしれないが もっと後になって、必ず役たつはずだから。

(後略)

パオロ・コエーリョの詩(朝日新聞掲載)

このダイアリーは私のメルマガ18号にも載せさせて頂きました。

2003年3月17日(月)

カリフォルニアで桜を見ることが出来ると聞き、今日は友人4人と一緒に出かけてきた。朝からいそいそと花見弁当を作り、日本から持参したお重に詰める。あ〜、日本人の血が騒ぐ!ワクワクだ〜。

池の周りに植えられた桜はまだまだ若い木々だった、日本のような情緒にはかけるなぁ〜。やはり桜は日本だなぁとみんなで話しながら花を見ていると意外な事を発見。桜に集まる鳥達が密を吸っているのだが、吸ったと同時に花がポタリと地面に落ちる・・・あれれ・・・日本ではこんな現象あるかなぁ? 桜は雨で結構散っていたけれど、地面には花びらが落ちていないのだ。その代わりそのままの桜がポタポタと落ちている。桜が日本より早く散る原因の一つは雨だけでなく、この鳥達の影響かもしれない。 それにしても、鳥達は花を落とさずに密を吸う事を知らないのかなぁ?? そんな事を話しながら、それぞれ持ち寄ったお弁当を広げる。テーブルはたちまち華やかに!今回は咲いている桜よりお弁当の方が花があったかなぁ〜。 あ〜、日本の桜が見たい!乾いた土地にいると無償に日本の潤い感や情緒に触れたくなる。日本人の本能だと思う。

来年は桜の季節に日本に帰りたいなぁ。桜の花のエネルギーを真下で浴びたい。昔、自分が死んだら桜の木のそばに私の灰を埋めてほしいなと思っていた。そしてあの桜を咲かせるお手伝いが出来たら・・・なんて思っていた。今もその気持ちは私の中にある。 その為にも自分が桜にとって気持ちのいい有機肥料になるように体と心を養わないとなぁ。いつか大好きな桜と一つになれたらなぁ・・・なんて、この季節は思うのだ。

2003年3月15日(土)

誕生日

今日は私の誕生日だった。朝から雨が降り、又この雨で緑が育つなぁと思いながら、静かな朝を迎えた。今日も朝から仕事をしていたが、夫が買って来てくれたバースデーケーキを今日はクライアントさんにも食べていただいた。40半ばになっても、こうしてケーキを買ってもらい、又一緒にケーキを食べていただくのは嬉しい。

妹が「誕生日とは親にありがとうを言う日だと思う」と以前、私に言った事がある。「本当だな・・・」と思い母に電話をしたりする。私は10代よりも20代が、そして20代よりも30代が、そして今の40代の方が自分を好きになっていく。自分の見つけられなかった自分に出会っていく。だから「年を重ねる」という事はとても素敵な事だと思う。

生まれてきた事、やはり、嬉しい。人生80年?だとしたら既に後半戦か・・・ふむ・・・益々楽しみだなぁ。

私を産んでくれた母に。亡き父に、ありがとうを。そして、今日の雨にもありがとう。

2003年3月9日(月)

越えて繋がる

私は特別な宗教を持っていないけれど、自分の中で信仰心は深いと思う。これから先も一つの宗教に属する事はないだろうが、共鳴出来る祈り言葉や祈りの意味などは生活の中に自然に取り入れられる。

昨年後半にお目にかかった牧師様ご夫妻はLAで若い人たちの夢の実現に向けて応援され、下宿屋さんをされている。翻訳家の山川ご夫妻もそこを訪れられていたけれど、私もご縁が繋がって何度かお邪魔したり、我家にもご夫妻で足を運んで下さったりとし、奥様をヒーリングさせていただいている。

牧師様が言われた言葉でとても心に響いた事があった。「十字架の意味はね、縦の意味と横の意味があるのですよ。縦は天と繋がる、即ち神様と繋がる線、そしてね、横は人々と繋がる、横の関係を築いて行くと言う意味です。私たちは神様と繋がっているだけではなく、そばにいる隣の人たち、横の繋がりをももってそれで十字架の意味をなすのですよ。私と美津子さんもその横の繋がりですよね。それが大事なのです。教会に行って話を聞き、教会で祈る事だけが信仰ではありません。それを横という人間社会で生かす事です。その横の繋がりを持たずに神様と繋がる事は出来ないのですよ。」というお話をして下さった。私はとても感動し、心に響いた。尊敬する佐藤初女さんも「私にとっての祈りは生活です。」と言われた。私はその言葉にとても癒され、自分の中にあった宗教観がとても明るくなったのだ。この牧師様からも同じ事を教えていただいた。だから、牧師様ご夫妻はまもなく80歳というご高齢にも関わらず、今も手足を動かし、みんなの食事を作られる。何をする時も先頭を切って体を使われる。ベターリビングセンターというその下宿屋さんは本当に家族の愛に包まれている気がした。祖国を離れアメリカで暮らす若い人たちは、牧師様ご夫婦の家族的愛に包まれていると思う。

祈り言葉も私は心に響く言葉は大切にしている。そしてその言葉の意味をきちんと教えてくださる方にお話を伺う機会も設けられる。先日も久しぶりにお目にかかった深い信仰を持たれる女性から、印や祈り言葉の意味を教えていただいた。それを自分が理解すればするほど、私の宗教に対する枠が取れていくように感じる。

宗教を越えた人々は共通して「戦う心」がない。そして「これが一番」という押し付けもなく、自分の信じる世界を押し付けない。祈りも又、エネルギーだと思う。そして、私も祈りは生活の中に生き、生かしていくものだと思う。

沢山の大切な事を教えてくださる、ご縁ある方々。私の魂を導くありがたい人々。感謝の日々なのだ。

2003年3月7日(金)

音のバイブレーション

HPが出来上がってから、色々な方々からおめでとうコールを頂き、何と幸せ。表紙の菩薩様から感じられる事は包み込まれる、釘付け、きれい、素敵、エネルギーが流れている、ヒーリングルームにいるようだ・・・などなど嬉しいお言葉をいただいた。美人であどけなさの残るこの菩薩様はこのお部屋を訪れてくださるみなさんと共に守っていけたらと思う。

2月に寺山先生とお目にかかってから、私の中で色々な変化を感じている。一番感じる事は「音のバイブレーション」だ。先生のチェロの中にあったあの響き。今まで音楽を聞いていたけれど、聞いていたつもりでも感じきっていなかった自分を知った。音がもつ響きは生き物なのだ。それは波動となって命と交流するものなのだ。ヒーリング音楽と呼ばれるものは本来その響きがバイブレーションが私たちと繋がり合って、不調和を調整したりつまりを揺らして、とおりをよくしてくれたり、ふるい落としてくれたりする。先生と3泊4日、共に過ごした間より先生が帰られてから自分の中に新たなエネルギーと感性が育っているのがわかった。きっとそれは先生の波動から受取ったものだと私は感じている。つまり、先生そのものが言葉以上に波動で伝えられる方なのだと思う。 先ず、ヒーリングをしていていつもかけている音楽があるのだが、それはとても気持ちよく自分のヒーリングのリズムにあうのでかけていたのだが、今は音楽のバイブレーションを体中に感じ取る。音が小さな水泡のように私の体にくっついてくるのだ。小さな小さなその泡は柔らかく動く。そして私の体全体がしびれるようになる。指の先までもしびれ、その音楽からのバイブレーションを受取る。その指がクライアントさんに触れる。先日、そのバイブレーションを全身で感じながら指がクライアントさんの頭を触っていた。指からそのバイブが流れていくのが分った瞬間、クライアントさんが涙を流された。その方は後で、何故、涙が出たのかわからないとおっしゃった。本人の意識はわからなくても、体と潜在意識はちゃんと受取っている。音の響きを。私は全身でそれを感じ取っていた。音がもつ素晴らしさを改めて知った。だから、ヒーリングに使う音楽はとても大事だと思う。今、私がヒーリング中に使うようになったのは、チベタンベルだ。このベルの波動は色々なものを調整してくれる。そして、やはりそれを感じ取られるクライアントさんは涙を流される。不思議だけれど、音はそういうものなのだ。命だから。

2003年3月3日(月)

3・3・3!
ようやくウエッブサイトが出来上がった。縁ある人たちに助けられてみなさんにご紹介出来るようになった。ありがたいなぁ。サイトをデザインしてくれた高原操ちゃんの提案でお披露目は3・3・3の3年3月3日にしようと決まった。加えて、このサイトは私を含めて3人が相談しながら進めて行われたプロジェクトだった。デザインしてくれた操ちゃんとサイトの表紙を素敵な菩薩様で飾ってくださったアーティストのまるさんと。何度もメイルのやり取りをしながら、菩薩様も色々変化しながらああでもない、こうでもないと意見交換をかわしながら・・・お二人への感謝の気持ちはスペシャルサンクスとして別記、書かせていただいているが、本当に心からの感謝を捧げます。

「3つの線が助け合ってできる三角はしっかりと安定し崩れないですね」って今日、クライアントさんが言われた。本当だな。そして私も3月生まれで・・・3が一杯!これから、このサイトにいろいろな方が関わってくださりながら、この3がより立体的になって進んでいけたらどんなにうれしい事か。沢山の菩薩様に出会う旅は私の中でワクワクドキドキだ。今日はお雛様!3・3・3!おめでとうそしてやっぱり、ありがとう。

2003年1月6日(月)

朝、いつものように窓から海を眺める。キラキラとした光を受けた海を見る。朝食を済ませると、フッと「クリスタルヒーリング」と心に響く。「うん?」と思いながら、ヒーリングルームへ。この2ヶ月程、時折クリスタルをヒーリングに使うようになった。以前、あるチャネラーから私とクリスタルの相性がいいので是非、ヒーリングに取り入れられたいいですよと言われた事があったけれど、その時は私自身がピンとくるものがなかったので、そのまま時が流れていた。2ヶ月程前にクライアントさんのヒーリング中に「クリスタルを」という声が聞こえたので、その声に従って初めて使った。それから、時々体からそのような要求を感じた時はクリスタルを使うようになった。

今朝はクリスタルヒーリングが自分に必要だったようだ。マッサージテーブルに横になり、体のポイントにクリスタルを並べ、静かに目を閉じた。しばらくすると、子宮が動き出す。仙骨のあたりが左右に波打ってくる。気が流れ出すのがわかる。子宮の上には一番大きなクリスタルを置いたのだが、みるみるうちにお腹があったまってくる。脊髄を流れ百えに向かって気が流れていく。そして、流れは手先、足先へと向かう。手足がピリピリとする。気が流れると背骨が波打つように動き出す。本当に流れ方は「波」そのもの。呼吸が自然に調整される。 途中、何度か目が開いた。でも、その瞑想状態のようなヒーリングは続いているのがわかる。大きな波がおさまっても、まだ静かに子宮は動きつづけている。

ヒーリング中に気づきが起る。クリスタルのもつ「透明な世界」色のないクリスタル。それは水の結晶に似ている。私たちは何の力で生きているのだろうか。食べなければ私たちは死んでしまうけれど、私たちを生かしてくれているものは、食べ物だけではない。自然界にある様々な命たちが発してくれているエネルギーを受取る。いや、本人が意識をしていなくても、彼らは私たちにいつも与えてくれているのだけれど、もの言わぬ鉱物も同じ存在。私たちが意識を向けた時、彼らと繋がる事が出来る。もっともっとエネルギーを循環させる事が出来る。

そして、彼らはそれを既に知っている。窓辺に置いたクリスタル達は太陽の光と繋がり、海の水と繋がり交流している。クリスタルを通じて、それ以外の命たちを感じる。無色透明のクリスタルは無色である分、力も強い気がする。色の主張がない分、その透明感にすごい存在力を感じる。初女さんの言葉を思い出す。「透明になった時が命の移し変えの時。野菜も透明になった時が一番おいしい。」透き通る命は自分を明渡して、大いなるものと繋がれる愛そのものかもしれない。

マッサージテーブルの上で最後に目をあけた時、部屋の中に太陽の光と海が明確に存在しているのがわかった。そのエネルギーが燦燦と降り注がれた。「クリスタル」この透明な命の力を貸していただこう。そして、「ありがとうございます」という愛ある感謝を彼らに返そう。意識をおいた時、その存在とより強く繋がれる。私たちが私たち以外の多くの存在を意識すればするだけ、私たちの命に繋がってくる。私たちは生かされている。